閖上の記憶とは

2011年3月11日の東日本大震災によって壊滅的な被害を受けた宮城県名取市閖上地区。
かつて約5000人が住んでいた街は更地になってしまいました。閖上中学校では14名の生徒が津波の犠牲となりました。震災から1年経った2012年3月11日に閖上中学校遺族会は閖上中学校敷地内に慰霊碑を建立しました。しかし、慰霊碑の周りは水が出るところもなく、献花や千羽鶴も野ざらしの状態でした。そこで2012年4月22日、当団体、地球のステージは、日本国際民間協力会(NICCO)と協力をして、慰霊碑近くの更地に「閖上の記憶」を建てました。

慰霊碑を守る社務所として、閖上の方たちが立ち寄れる場所として、そして震災を伝える場所として、地元の方たちを中心に、閖上の記憶は発展してきました。国内外からの来所者増加に伴い、シアタールームも増設し、2013年8月11日は増築記念式典も執り行いました。慰霊碑を守りながら、地元で被災された方々が語り部や案内人として、震災やいのちの大切さを伝える取り組みに特に力を入れています。今回の震災でたくさんの方が亡くなり、痛切に知らしめられた「いのちの大切さ」。特に次世代を担う子どもたちへの震災学習を積極的に行っています。

加えて被災地で深刻化している心の問題。閖上の記憶は語ることで心の整理が進められるように、今後も被災された方たちへの語る機会や場所の提供も積極的に行っていきます。


閖上の記憶 “Memoire de Yuriage”
名称の由来

自分たちが確かにそこに生きてきた「記憶」、そして津波によって多くのものを失った「記憶」、それは感情を伴って心の中で大きな場所を占めています。
しかし、そこに乱れがあると人はなかなか立ち上がれず、そこから前に進めません。記憶と感情を整理し、心の中に少しでも平穏を取り戻すことで未来へ向けた意欲が出てきます。
この世に二度と行けなくなってしまった場所があって良いはずはなく、二度と語れなくなってしまった話があって良いはずがありません。自分の記憶や感情に向き合い、その人にとって大切な「記憶」を整理するための場所として「閖上の記憶」という名称としました。


役割と機能

① 地元閖上の人の場所

閖上に足が向かない地元の人たちも、ここに集う場所があることで、いつか自宅跡地へ戻る一助となることを願っています。同時に、閖上の人々の情報交換の場所ともなります。

② 伝える場所

開所からの2年間で、全国・全世界から3万人を超える方々が「閖上の記憶」を訪れてくださっています。津波祈念資料館として、閖上に関する写真集や書籍、心のケアの取り組みで制作した子どもたちのジオラマ作品を展示しており、津波に関する写真・映像もご覧いただけます。


館内の様子

③ 慰霊碑を守る「社務所」「記帳所」

閖上中学校遺族会が建立した慰霊碑の清掃、お花の整理、千羽鶴などの保管など、また参拝してくださった方の記帳所でもあります。
「閖上の記憶」の番人(常駐スタッフ)が、展示物の説明、施設管理、慰霊碑の手入れなどを担っています。


慰霊碑

◆ 地元の方自らが「こんなふうに使いたい」「こんなものを置いてほしい」というアイディアを出しながら自立的に発展させていく、そんな存在を目指します。
「閖上の記憶」は、すなわち人類のための「記憶」でもあります。
「絶対にそんなところ行かない、と思っていたけど、友達が行ったら良かったと言ったんで、嫌々行ったけど、やっぱり行って良かった。」
願わくばこの展開が実を結び、多くの被災地がこういった動きに賛同して、感情と記憶の整理に向き合って復興への意欲を取り戻せることを願っています。