閖上新町頭で暮らす閖上小学校6年生(震災当時3年生)。
下校途中、自宅を目の前にして地震に遭う。その夜、母と兄と一緒に閖上小学校の教室で一晩を過ごした。

閖上1丁目に暮らしていた閖上小学校4年生(震災当時1年生)。
地震の瞬間は学校の教室にいた。両親とは会えないまま、小学校に避難したおじと弟と一緒に一晩過ごす。翌日両親と会え、家族で避難。自宅は全壊で、現在も仮設住宅で暮らす。

閖上7丁目で暮らしていた閖上小学校6年生(震災当時3年生)。
震災当日、下校途中の歩道橋で地震に遭う。学校に戻り、急いで駆けつけた父・母と会うことができ、姉も一緒に家族で一晩を学校の教室で過ごす。この日は、新しく建てた自宅の引き渡し日だったが全壊した。

閖上大曲地区に暮らす閖上小学校4年生(震災当時1年生)。
下校途中、小学校前のバス停で帰りのバスを待っていた時に地震発生。学校に非難し、家族と会えないまま、一晩過ごした。

閖上2丁目に暮らしていた。震災当時は閖上中学校へ避難した。津波により自宅は完全に流され、親類や友人の多くを失う。現在は閖上の「案内人」として活動。被災地を訪れる多くの方々へ震災を伝えている。

閖上2丁目に暮らしていた釣り船「第一謙信丸」船長。津波により家は全壊。船も2kmも内陸に流され、使えなくなってしまった。しかし船は一生懸命修理し、第一謙信丸を復活!営業も再開している。

閖上4丁目「若草寿司」の大将。津波でお店兼自宅を流され、現在仮設住宅で暮らす。「閖上さいかい市場」仮設店舗で寿司屋を再開、営業中。

閖上2丁目に暮らしていた。震災時は公民館へ避難。しかし当時中学1年生の息子さんを亡くした。自宅も流失。現在は閖上中学校遺族会会長を務めながら、語り部、案内人として活動し、震災を語り継いでいる。